某日
職場の大規模な飲み会。乾杯するのに5分間グラスが揃わず、早く飲ませろと殺気立つ人がいてあぁ…という感じ。笑顔でお酌の鬼となっている同世代の先輩に社会人として全く正しい姿をまざまざと見せつけられる。立ち振る舞いが分からず結局へらへらして終始する一次会。そんで「笑っているけど楽してるだけ」とカラオケでブルーハーツを歌う二次会。社会人としての社交性はナチュラルに身に付けれたらいいけど、一方でそんなもの持ち合わせてもしんどいだけだぜと思って結局どうにもならない中途半端さ。
某日
土曜の夜、同期4人集まって桃鉄。家と会社を往復するだけの平日に対して、金曜日のアフター5から日曜日までの2日と数時間のみ自由を感じられる。その中でも毎月集まって桃鉄やるこの時間が最近は一番楽しい。臆せず罵声を飛び交わすことができるのはとても人間らしい営みのなのである。こう思うのは多分常に本音を包み隠している職場での人付き合いの反動。気付けば12時間ゲームをし続けていた。
某日
相変わらず出勤時にはオードリーオールナイトニッポンを聞き、帰宅後には水曜どうでしょうを観て平日をやり過ごしている。若林も大泉洋もひょうひょうヘラヘラとしていて、そういう人が楽しそうにしているのは見ているだけで楽しい。
どうでしょうフィギュアをコンビニで見つける。購入の際店員さんに「どうでしょう好きなんですね」と話し掛けられ、エアポケットのような良き会話であった。どうでしょういい話。ここ最近の自分は桃鉄とオードリーとどうでしょうによって生かされている。
某日
ビートルズでいうin my life的な歌詞でとても好きだ。例えば17歳の時、予備校で同じクラスにいた、授業前に少し話したりあいさつするだけの関係だったあの子。人生の線は一瞬混じり合って、その後は再び交わることなく離れていく。その子の今を知る由もないし、そんな話を誰に話すでもないけど、自分の頭の中から消えない記憶としてその子は残っていて、ふと思い出す度に言い表しがたい感情に飲み込まれる。そんな全ての自分の人生の脇役と”マイミク”にでもなって、今どうしているのか知れるものなら知りたい。と、そんな旨のことを10年程前にマキシマムザホルモン亮君がブログで書いていたことをこの歌詞から思い出した。
友達で変わっていってしまった人、自分が嫌いだった人、"自分が変わった"と思って疎遠になった友達など、若いときのことを思い出して、そういう全てのストーリーを自分がまだ鮮明に覚えているか時々確かめたりする。 絶対に忘れない過去の話。 でも過去も未来もひっくるめて"今"があって、日常は日々あっという間に流れゆくけど、良き思い出もたくさんあって、今日もそんな思い出たちに生かされている。 自分なりにいろんな経験を経た今も、結局自分が何を求めて何をしたいのかなんて分からないけど、雨の後の晴れ間にしか虹が現れないように、きっと人生だってそういうことなんだ。 問題なんていつだって山積みで、感情も常に謎めいて憂鬱だけど、今日も何とか元気にやってるし、波風立てず模索して生きれている今を幸せに思おう。 -Sydney, 2000
拳をあげる男達、ライブハウスにて
某日
友達の結婚式二次会。自分の知っていたその子は普段惚気たりする子でなかったので少し面食らったが、久しぶりに会った花嫁の子は旦那さんのことが本当に好きで結婚出来て幸せなんだろう、ということが会を通じてよく伝わった。一方、会が終わって男3人で話すも感想は揃って「結婚はまだかな」。人の式に参加するたびに感じるのは自分の結婚に対しての自覚とか責任、現実味等々が無さすぎるということ。例えばこどもがいない状況下で同棲することと結婚して一緒に暮らすことの違いもわからない。
そのまま某イタリアン店にて安い酒を煽り、女の子についての下らなくも尊い会話を繰り広げ、3人で帰宅、そのままゴットタンの飲みカワ選手権を見て悶絶しながら意識を失う。今自分達が欲しいのは結婚の安定感よりもこんな夜を過ごして20代を燃やしていくことだ。I don't want to grow upの精神。
I don't want to grow up
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