2016年10月29日土曜日

最近


某日


映画化されるということもあって、朝井リョウの「何者」を読んだ。

本を読む前から朝井リョウのことは、オードリー若林と仲が良いのでラジオやテレビで共演・対談しているのを見聞きしていて知っていた。オードリーのオールナイトニッポンの中で「小説、褒められることも多いでしょ?」と若林に聞かれて「その時は、あ、本気で言ってないな、と思って浸透滅却します」と答えたりする朝井リョウは、若林同様に完全にひねくれている人間だというイメージだった。


浸透滅却する朝井リョウの回


そんな先行したイメージを持って初めて朝井リョウの小説を読んだからか、冷静だけど斜に構えた語り口の主人公が朝井リョウの化身のようにも見えて、こんな目線で物事みてるんだろうなとか勝手に思って読んでいた。小説でもお笑いでもなんでも、作ってる人がどんな人なのかっていうパーソナリティを知っている程、それをよく楽しめるというのは自分の持論です。
朝井リョウは今27歳とかで自分と同世代だけど、その朝井リョウが主人公を通じて投げかけるデジタルネイティブよろしくな問題はすごいリアルに感じれらた。「まっすぐてめぇの人生を生きろ」ってメッセージは一つ感想として思った。その他に、主人公を含めた登場人物ひとりひとりの捉え方は読んだ人によって違ってきそうなので、みんな読んでほしいと思う。小説読まなくても映画化されたので観てほしいです。





某日

大学のサークルの同期がやっているバンドのライブを見に行った。

音楽だけを聞くと正直自分が好んで聞くタイプのものではないが、ステージ上でベースを弾く彼の前ではそんな趣向はあまり重要ではない。自分の音楽でお客さんを集めてワンマンライブをしている、という事実が素直に素晴らしいと思ったし、かっこいいと思った。
自分より彼と仲の良かった同期から彼の話を聞くと、バンドを続けていくのはなかなかに苦労してそうだったりして、ライブを見てるだけなのに考えなくてもいい勝手なドラマを考えてしまったりした。が、そんなことは置いておいて、自分のスキル一つでやっていこうという覚悟は到底自分にはないし、その覚悟は折れずにどこまでも行ってほしいと思う。近しい人がそうやって頑張っている姿は自分にとっても喝になる、というありふれたことを強く感じた。

加えて、少しへこんだ。常々、音楽でも映像でも文章でもデザインでもなんでも、読んだり見たり聞いたりインプットするだけでなく、それらを自分を介してアウトプットするという行為は何であれ尊いことだと思っている。が、今の自分はざっくりと言ってしまえば与えられた仕事をこなす仕事をして、生活パターンの中で何かをアウトプットするということは圧倒的に欠けている。なので、バンドやって音楽を発信している彼の姿を目の当たりにして若干へこんでしまった。音楽や映画とか本といった人様の創造物を享受しているだけでは本当の意味でカッコよくはなれない。





某日

爆音映画祭というイベントにてトレインスポティングを見た。



ヘロイン中毒、軽犯罪常習犯、喧嘩っ早い、というどうしようもないイギリスの若者の姿をリアルに感じられるのってすごい。日本に住んで、普通の仕事をして、喧嘩もドラッグも犯罪からもほど遠い生活を送っていて、接点なんか一ミリもないこの主人公に感情移入してしまう。そしてそんな破天荒な生活に少し憧れを感じる。自分の世界を拡張させられる、そんな映画だった。

主人公の荒廃的な生活と同様に、それを彩る映画としての”カッコよさ”も衝撃だった。蛍光の赤に白抜きの映画タイトルとモノクロ写真を使ったポスターのビジュアル、冒頭のイギ―ポップから最後のアンダーワールドまでのサウンドトラック、体験したことのないドラッグを疑似体験させてくれる演出、最高です。特にユアンマクレガーが冒頭でイギーポップのlust for lifeがかかる中、スコットランドの街を疾走するシーンとそれに繋がるラストシーンは爆音映画祭で見るべきワンシーン、という感じでとても良かった。




I'm going to change. I'm cleaning up, and I'm moving on,going straight, and choosing life... I'm looking foward to it already, I'm gonna be just like you.   -俺は変わるだろう、全部清算して、前へ動き出すんだ、そして人生を選択する・・・もう楽しみで仕方ないよ、あんたと同じような人生さ





某日


会社からの研修で東京に行った。

研修は夕方にスパッと終わるので、終わった後は八王子、国分寺、吉祥寺、荻窪、阿佐ヶ谷etc…研修所があった中央線沿線を中心に遊びに行って東京を満喫した。本屋とか喫茶店とか服屋とか公園とかをウロウロしていたけど、どのまちに行ってもレコード屋には行った。東京にはディスクユニオンもあるし、見るからに古そうな中古専門店から洒落た新譜の店まで個人の店もたくさんあるので、大体のまちにレコード屋があるのが素晴らしい。レコード屋のあるまちは愛せる。
ゆかりのない遠い遠いまちのレコード屋で欲しいCDレコードを見つけた時は、純粋にテンションも上がるし、「きっとこのまちにも同じこのバンドを好きな人がいるんだろうな」とか思うと、そのゆかりのないまちも少しに身近に感じることができる。欲しいのが見つからなくても、中古盤は500円以下とかで売っているのでヒップホップやジャズなんかの普段聞かないジャンルのレコードをジャケ買いして家に帰って聞くのをワクワクするというアナログな楽み方もあるし、旅先でレコード屋に行くのはロマンだ。などと理由を付けて散財するのは毎度のこと。


レコードじゃないけどこの廃版状態のDVDを発見した時は、テンションブチ上りである。


"American Hardcore"



某日

引き続き東京。

行くたびに毎回思うけど、東京はヤバい。なにがヤバいって何でもあるのがヤバい。今回は全部で5日間東京にいたけど、一人でウロウロしてただけでも時間が足りない。行きたいところはアンテナを立てて探せば探すほど見つかるし、あらゆる欲求を受け止める雑多さこそが東京を東京たらしめているのだと思う。多分実際東京に住んだら、その物とか人とか情報とかが過多なのが息苦しかったりするんだと思うけど、東京に住んだことのないイナカモノの自分にとってそれはとても羨ましいことなのである。



the view of 大東京 from 六本木ヒルズ



アーバンチル中の皆さん



ネバヤンインストアライブ@HMV新宿



crazy city girl


2016年6月5日日曜日

鎌倉



休みを利用して鎌倉に行った。夏を感じる。







神戸で見る見慣れた海と違って太平洋からの季節風をモロに受ける相模湾は穏やかではない。青空の下で白波が荒々しく立っているのを見るとサーファーが集まるのも納得する。例えば白いTシャツに短パンカーゴパンツ、ビーサンの真っ黒に日焼けしたサーファーが防波堤に座って波を眺めていたりする。よく見るとそれが50くらいのおじさんだったりする。若い。それに、サーファーでなくても鎌倉では5月にも関わらずビーサンを履いた人がとにかく多かった。もうビーサンの時期なのかと思って神戸に帰ったが、神戸でこの時期にビーサンを履いている人は一人もいなかった。

読んだことないけどスラムダンクの舞台にもなっている鎌倉高校前にも行ったら、完全にカルピスのCMの世界観だった。ホームから海が目の前に見える江ノ電の鎌倉高校前駅では部活帰りの高校生が電車を待っているだけでも絵になる。パチンコ店だけが活気あるくたびれた商店街を抜けて最寄駅に行き、そこから駅のゴミ箱から空き缶を拾い集めるおじさんと共に環状線をぐるぐる回りながら帰路についていた自分の高校時代を思い出して羨ましく思った。




カルピスのCMの世界観



*



鎌倉駅のすぐ近くに小さな書店があったので入ってみると、鎌倉を舞台にしたり、ゆかりがある小説を集めたコーナーが作られていて、その中でオレンジ・アンド・タールという小説があった。手に取るとオードリーの若林が解説を書いてあり、思わずその場で解説を先に読んでしまったが、それがなかなかに熱いもので、気が付いたらオレンジ・アンド・タール一冊を抱えてレジに並んでいた。

ぼくにとって『オレンジ・アンド・タール』は単なる小説では無い。ましてや、誰もが味わう大人の階段を登る途中の一時的な感情を扱った小説でも無い。(中略)トモロウが弁天橋の下にいる理由、そして、その理由との挌闘は今もぼくの主題にあるからだ。(オレンジ・アンド・タール解説より)

余談になるけど、自分は若林のファンだ。「人見知り芸人」「女の子苦手芸人」「お家大好き芸人」等々…とても"生きにくそう"に見える若林正恭という人間は非常に興味深い。彼の抱える"生きにくさ"に自分をつい重ね合わせてしまうのだ。YouTubeに上がっているオードリーのオールナイトニッポンの過去回を聞き漁っているのもそういう理由だと思う。この解説を読んで、若林が何を思っているのか、そのヒントがこの小説にあると思った。

もちろん小説の内容もそうだけど、この小説を鎌倉で読めたことはとても大きかった。小説の後半は旅行の中で読み切れなかったから神戸に帰ってから読んだけど、入ってくるものが違った。またもう一度鎌倉に行った時には、この小説を持って行って読み直したいと思う。



あとは滞在中にアジカンのサーフブンガクカマクラも、"海辺のファーストキッチンって七里ケ浜じゃなくて江の島にあるのか!"とか思ったりして何回も聴いた。藤沢ルーザーの青い海に全部投げ出したくなる衝動も江ノ島エスカ―の10代に恋をした時の甘酸っぱさも七里ヶ浜スカイウォークの予定のない晴天の日に感じる焦燥感も、鎌倉の風景を目の前にして本当に映えて聴こえた。


『心の臓がわずかに逸るビート 踊りますか』



*



今の仕事は転勤がない業種なので、恐らく今後ずっと神戸に住み続けると思う。神戸は好きだし、転勤させられるのが嫌で就職したということもあるので、基本的にそれに不満はない。でも勝手なものでずっと神戸に住めることが約束されたとたん、その反動で今、他の街で暮らしてみることへの憧れがすごい芽生えてきている。今後の人生がある程度見えてしまって萎えるという…マリッジブルーのような感覚かもしれない。特に今回の鎌倉みたいに素敵だと感じる街に旅行で行った時なんかは、子どもは鎌倉高校に通わせるしかないなとか由比ガ浜に住めたらベストだなとか週末は134号線沿いでランニングとかしだすのかなとか…パラレルワールドに住む自分を妄想する。そんな世界が”あり得る”ということさえ、神戸で普通に仕事して毎日過ごしているだけではなかなか考えもしない。

二泊三日の滞在初日の夜、江ノ島で夕食を済ませ、弁天橋を渡って江ノ島駅に向かってる道中でボウリング場を見つけ、ホテルに帰るには時間が早かったから1ゲームだけ遊んだ。その1ゲームで、普段はスコア100を越えれば満足な自分が、なんとストライクを5回も連続で出してしまった。その時になんとも言い難い解放的な気分になったのが忘れられない。それはストライクを連続で出したからなのか、明日も明後日も休みだからなのか、ビーサンを履いた人ばかりの鎌倉の街の雰囲気のせいなのかはわからない。わからないけど、仕事とか日常の諸々、現実を忘れられるその瞬間こそが旅行に行く理由のような気がした。これからもこういう瞬間を味わうためにまだまだ旅行には行きたい。


旅の初日、弁天橋より夜の江ノ島を仰向く





2016年3月19日土曜日

最近のこと




某日

仕事で車を運転しているとラジオから大滝詠一の君は天然色が流れてくる。



涼しげだけどじわじわと熱を帯びる大滝詠一の歌いまわしがよく晴れたその日の天気とマッチしていて、思わずああ春だなと感じる。こんなに気分がいいのになんで仕事に縛られてないとダメなのか、このまま一人で遠くまでドライブしてしまいたいというダメな気持ちが湧いてくる。学生時代は春が来るたびに仲いい友達や学生という自由な時間との別れが一歩近づいてしまっているような気がして春は嫌いだったけど、社会人になってそういった失うものがなくなったからなのか、そこまで春が嫌いじゃなくなった。早く暖かくなってほしい。







某日

最近は通勤と帰宅中に、Youtubeに上がってるオードリーのオールナイトニッポンを聴き漁ってます。なにより学生時代からの仲の若林と春日が、そのままのノリで、今も仲いいのが伝わってきて飽きない。普段まともにフリートークを考えてこない春日が「すべらない話」でMVSを獲ったことに対して悪態をつく若林の回とか最高です。


若林「来年の新ネタ、全っ部お前のセリフ少なくしてやるからな」



あとは帰宅して見たアメトーークの「今年が大事芸人2016」が面白かった。この回で特筆したいのはメイプル超合金のカズレーサーの他ない。見ていて楽しい。見ていて楽しいけど、多分それ以上に本人が一番アメトーークを楽しんでるんやろうなってのが伝わってくるのが最高。初登場にも関わらず緊張の色が全然ないことを聞かれたのに対して、テレビで見たことあるんで!と満面の笑顔でMCに返す下りとか本当に大好きです。バラエティでひな壇に座ってヘラヘラしてるところをずっと見ていたい。対して永野がネタをやり続ける後半はイマイチだった。アガってるのが目に見えてわかったし、必死過ぎた。永野で15分は長かったなあ。



仕事からの現実逃避をお笑いに求め続ける日々…






某日

横尾忠則の1980~1987年にかけての日記を纏めた本を古本屋で購入。展示会で世界中を飛び回る一方で、渋谷のゲームセンターで糸井重里に教わりながら連日パックマンのゲームに耽る若かれし日の氏の記録。所々日記を書くのが面倒になったのか、見開き一ページ殆ど空白の時期があったりして笑ってしまう。ただ、基本的に平日は本を読む気力が沸かないのでまた積読が一冊増えてしまったことになる。すべてを消化できる日は来るのか。









某日


turnoverという好きなバンドの来日が決まった。turnoverは去年二枚目のアルバムを出してそれで知った。詳しい音楽性の話は以下を参考下さい。


好きだと思う音楽に対して本当になんでそれが好きなのかを言語化するのは難しい。90'sエモ~オルタナの影響下にありつつも、リバーブの効いたドレームポップぽいギターが加わっていて云々、それっぽいことはなんとなく言えるけれど。例えば、それは恋人の好きな所を「優しくて思いやりがあって頼りがいのある所」と言ってしまうのと似ていると思う。言葉にした途端薄っぺらいものに聞こえてしまい、「そんなもんじゃないんやけどなあ」というモヤモヤとした気持ちが残る。

正直turnoverもCDに対訳ついてなかったから何を歌ってるのか知らないし、知ったのも去年なので擦り切れるまで聞いたというバンドではない。けど言葉とか聞いた回数を超えて自分の中にスッと入ってきたのは間違いないことで、そういうバンドに出会うと勝手に何かが通じ合った友達を遠くのアメリカに見つけたような感動、というか錯覚も覚える。大袈裟やけど、自分にとって色んなバンドの音楽を聴くのはそういう感覚。ライブ見に行けるの楽しみだなあ







某日

友達に普通メス犬は小便をする時、足を上げてしないことを教えてもらう。曰く、足上げはメスに男らしさをアピールするためにオス犬がする行動らしい。そんなわかり易いことってあるのか、と思ったが調べていると本当らしい。うちで飼っているトイプードルがメスにも関わらず毎回足を上げているのは何なのか…。3ヶ月近く毛を刈っていないためにふかふかのカーペットの一部ようになっていた彼女も、毛を刈ってもらいベロア生地のような質感に仕上がっていた。






某日

Predawnのバンドセットのライブを見に行く。会場には椅子がずらーっと置いていて座ってみるタイプのライブだった。


Predawnの歌声は本当に生まれてきてくれてありがとうというかんじの素晴らしさがある。平易な例えをするなら天使のようというか。topshelfレコードとかからリリースしたらアメリカでも聴かれると思うんやけどなあ。余りにも心地よくて途中うとうととしてしまったけどそれはそれで贅沢な時間でした。

一緒に行った友達と帰る前に少し飲む。結婚の話題になった時「いずれ今の彼女と結婚出来ればいいと思うけど、今はしたくない」と生意気な事を言う自分に対して「結婚したいと思ってるなら定期的に結婚を匂わせる事を言っておかないといけないよ」と苦言を呈された。なんだか盆栽に霧吹きで定期的に水遣りをするみたいだなと思った。やっぱり20代中盤に差し掛かった今日この頃、飲みの席では大体結婚についての話をしている気がする。